2011年3月11日 金曜日
6年前のあの日は秋葉原電気街の某店でアルバイトとして働いていました。
今回は記憶に残っている、あの日のアキバを記事にしてみた。
店内ショーケースがぐちゃぐちゃに
午後2時46分その時間は店内でレジ打ちをしていた。
突然の大きな揺れで最初は何が起きたのか分からなかった。
店員、お客さん共に地震と把握した瞬間にお客さんは、お釣りも受け取らずに急いで店の外に避難した。
棚とショーケースに置いてある商品が次々落ちていく様子を未だに覚えている。
ギシギシ揺れる店内の中、落ち行く商品を見ながら「あぁ…片付けが面倒くさそうだなぁ」と呑気な事を思いながら店内に誰もいない事を確認し店外に避難した。
外は人だかり
外に出ると近隣店舗の店員、お客で道路はごった返していた。
道路の幅が狭く小さいビルが密集している場所だったので余震の影響で倒壊の恐れもある為、近隣店舗の店員と協力し「余震で危ないので中央通りに向かって下さい」と声掛けをした。
中央通りは既に通行止めになっていたので道路には多数の通行人が集まっていた。
その後、店を閉めたものの電車が動いていなかったので、その日は秋葉原に住んでいる社員さんの自宅に泊めてもらう事にした。
芳林公園に避難した
強い余震が定期的に来る為、昌平小学校前の芳林公園に避難した。
人間=3人 飼い猫=2匹でしばらく過ごしたが、まだ3月上旬の夕方〜夜はとても寒かった記憶がある。
公園内には家に帰れない帰宅困難者が多数溢れていた。
JRも東京メトロも動いていなかった。
土曜日の秋葉原とは思えなかった
朝になり土曜日も営業すると決まったので先輩と一緒に徒歩で店舗に向かうと、土曜日なのに人が全くいない!!こんな秋葉原は見たことが無かった。
とりあえず店を開けてみたものの人もまばらで商品が売れるわけも無く、何か売れる物は無いかと倉庫を漁ると単1/単2電池と手回し携帯ラジオの在庫が出てきたので、ほぼ仕入れ値で売ることにした(1人=2個まで)
店頭に置いておくと売れに売れてあっと言う間に売り切れてしまった。
その後秋葉原では、しばらく電池と手回し携帯ラジオの需要がすごかった。
ワンセグを見つめる男性
当時スマホの普及率は2011年段階で9.8%と低くオマケに電話も繋がりづらく、少しでも役に立てばと思いポータブルワンセグプレーヤーで東日本大震災のニュース番組を流していたら、宮城県仙台市から仕事の出張で東京に来たという男性がワンセグを見て涙していた。
故郷が津波で流されていく光景をテレビの画面越しに、ずっと見てる男性の姿に僕はこれ以上声を掛ける事は出来なかった…
1時間近く男性はワンセグを見ていたと思う。
秋葉原から灯りが消えた
夜になると普段はネオンできらびやかな秋葉原電気街も暗闇に沈み、どの店舗も節電の為、消灯を行っており中央通りも真っ暗でアキバとは思えない光景だった。
もう二度とこんなアキバは見たくないなぁ。
以上、東日本大震災が起きた直後から翌日までの記憶でした。